D’s diary

日々の気付きを投稿しています

夏を感じた日(前編:麻布十番納涼祭り編)


8月の最終週、夏の思い出が仕事以外何もなかった私は友人と一緒にお祭りに参加しました。

参加したお祭りは麻布十番納涼祭り六本木ヒルズ盆踊りでどちらも4年ぶりとの開催ことですごく賑わっていました。


六本木ヒルズ盆踊り               麻布十番納涼祭り


最初は麻布十番納涼祭りに行き、初手でビールを飲みました。ドーパミンデトックスをしている最中だったのですが、久しぶりに仲の良い旧友と会ったので、今回は日常を忘れて楽しむことにしました。


キンキンに冷えてやがった生ビール(500円)


3週間ぶりのお酒はすごく美味しかったです!!!
麻布十番納涼祭りは想像よりも人が多くて、あまり時間を無駄にしたくなかったのでお酒以外は何も買いませんでした。
参加者は若い人が多めで美男美女ばっかで、男2人で行った私たちは常時カップルにヤキモチを妬きながら楽しみました。


    マナーの悪さ              個人的に好きだったセクション



参加者のマナーの悪さが気になりました。多くの人が飲み終わったコップやお酒の缶をポストの上や路上に放置していました。楽しむ分には良いのですが、せっかく自治体の方などが4年ぶりに企画開催してくれた良いお祭りがこんなことのせいで悪い印象になってしまうのに憤りすら覚えました。

個人的に好きだったセクションは『麻布十番 今昔 フォトギャラリー』でした。ここは何かを販売しているとかではなかったですが、無料で麻布十番の歴史や現在の姿見が写真を通して知れるところでした。個人的には麻布十番に縁もゆかりもなかったので、どうやってこの街がここまで発展していったなどが知ることができたので、とても興味深かったです。ローマは一日にして成らずという言葉の意味を実感させられました。


次回のブログでは後編:六本木ヒルズ盆踊りをお届けいたします。












 




ドーパミンデトックスはメリットしかない??

 

現代社会において、快楽というのは必要不可欠であって、誰でも簡単に手にできる最高のストレス発散方法だと思います。しかし、その快楽に依存しすぎたために長期的な目標を失ったり、本当の自分自身を見失って精神にきたしてしまうと本末転倒です。


Dopamine (ドーパミン)とは神経伝達物質の一つで、快く感じる原因となる脳内報酬系の活性化において中心的な役割を果たしています。


ドーパミンは快楽物質とも呼ばれており、楽しいことをしている時や目標を達成したときなどに分泌されます。やる気を出してくれるのも役割の一つです。ある行為でドーパミンが放出されて快感を得ると、脳がそれを学習して、再びその行為をしたくなります。さらに大きな快楽を得ようとして努力をするようになります。しかし、それが仕事や勉強といった自分にとってプラスに働くものであればよいですが、依存症や中毒となってしまうことがあります。例えば、パチンコ依存症買い物依存症、ゲーム依存症、アルコール依存症などがあげられます。”

(引用文献)

kentei.healthcare



ここで主張したいことは携帯依存症、SNS依存症もこれの一部に含まれているということです。携帯電話は現在の人口の約63%ほどが使って、近年スマートフォンなどの台頭によって私たちの生活の一部になっています。そしてさらに悪いことに、動画サイトの閲覧やSNSの通知は瞬間的にドーパミンを放出します。それは瞬間的な快楽なのですぐに消えるのですが、その行為を繰り返す結果私たちを依存状態にしてしまいます。 そしてこうした「一時的快楽」に依存してしまうと、「長期的快楽の必要性」の減少という状態を招きます。これは薬物依存の代表的な症状とほぼ一致しています。


加えて、(以下の実験の実験体はマウス)今までドーパミンはあらゆる日常の行動で放出されるので、ドーパミン量が増えると活動量が上がり、上がり過ぎると精神病症状が現れ、抗精神病薬によってドーパミン量を下げれば症状が抑えらます。逆に、ドーパミン量が減ると活動量が下がり、極端に減少していくとパーキンソン病症状を引き起こし、L-ドーパを投与するとドーパミン量が増えて症状が抑えられると考えられていました。しかし、最新の研究によるとドーパミン量が極端に減少すると活動量が亢進することが見出されました。結論としてドーパミンは活動量と比例しなく、一方でドーパミンが過剰に放出されると精神疾患や多動、注意欠如、学習障害、衝動性など顕著なADHD様の行動を起因いたします。

(引用文献)

www.igakuken.or.jp



世の中には色々なドーパミンデトックスに関する意見がありますが、私は個人的に賛成です。その理由としてメリットしかないからです。そして自身がやっている中ですごく効果があり、自分に合っていると感じて継続できています。私が具体的にやっていることとしては、以下です。一見難しそうに見えますが、きついのは最初の一週間だけです。私自身も最初は2回ほど挫けました。理由としては恋人の存在です。ですが、しっかりと話し合って理解してもらい、慣れたらこの生活が通常になり双方に幸福感も生まれてきます。その上双方とも少ない時間を大切にしようと意識もみられるようになりました。

  • 就寝前、起床後1時間は携帯を触らない
  • テレビ(→本)、ゲーム(→体を動かす、瞑想)、ファストフード(→自炊または健康的な食事)は基本的に見ない、しない、食べない。
  • 携帯のスクリーン時間を最大2.5時間目処に設定
  • Youtubeや娯楽SNSは削除して、必要最低限のSNS使用に徹する(私の場合はLineとMessengerのみ)
  • 食べ物は揚げ物禁止、飲み物はジュース、アルコール禁止
  • 長期的な目標を定めて、それを達成するための明確なビジョンを持って行動する
    自身の例
    • 副業を初めて本業以外にも収入源がある生活を目指す
    •  今年中にSalesforce Administrator の資格を取得
    • 長期的にジムで体を作り、筋肉質かつ健康体になる


武蔵家 明大前 


普段は出社しているはずの木曜日、在宅になり仕事も定時に終わったので、週1回の一人外食をすることにした。

最初はどこに行くか見当もなかったが、軽い運動のついでに、明大前駅まで徒歩でいき食事をすることにした。

明大前駅(特にすずらん通りには)は多数の飲食店が連なっていた。どこに行こうか決めかねていた時に明治大学方向から歩いてきた大学生らしき2人組の会話が気になった。

”やっぱ、武蔵家のラーメンは最高だわ” 

”また来週も行くっしょ?”

”今度はライス3杯はいくわ”

軽めの夕食にしようとしていたが、これを聞いて武蔵家に行こうと決めた。

お店外観

場所は明大前唯一の改札口を出て右方向に3分ほど歩き、歩道橋を渡って明治大学 和泉キャンパスのほぼ真横に位置している。(駅からのトータル所要時間は5分弱ほど)

入店時間は夜8時前だったが、店内はほぼ男性で埋まっており、人気店であるのは一目で理解できた。

注文したもの

注文したのは特製ラーメンの中サイズ。好みは麺硬め、味普通、油普通でお願いしました。
お水はセルフサービスで、ご飯は時間帯関係なく、ラーメンを頼むとおかわりは何回でもできる。これはとりわけ学生さんのニーズに合わせたようになっているように感じた。食券を渡すときの店員さんの接客は優しく、家族連れや大人数で来た時用にテーブル席もあって、幅広い客層が来るようなイメージができた。

特製ラーメン 中


ライスは頼むか迷ったが、せっかくだったので小盛りで注文した。
卓上調味料はQチャン、ゴマ、ブラックペッパー、酢、醤油?、ラー油、ニンニク、香辛料と十分すぎる豊富さ。

肝心の味だが、スープは美味しいというより塩辛かった。
チャーシューも燻製っぽく、染み込んでいる味が少し酒臭く、評価としてはイマイチだった。
良い点としては、麺は他の家系ラーメンの麺と違って、細めでどのスープにでも合いそうな万能麺でした。おそらく私が大学生の時に来れば、感激していたであろう味だった。しかし、アラサーの私には合わなかった。(ジャンクすぎた)

個人的には再訪問はないだろう。
しかし、コストパフォーマンスで言ったら高い方であるのは間違いないので、ぜひ高校生や大学生には一度は食べてもらいたい。塩分が気になる人は味を薄めにすることをおすすめいたします。

お店の詳細は以下から確認できます。
twitter.com




東京で一番美味しいうどん!(店名:おにやんま 五反田本店)

ある日の仕事終わり友人とLINEで話していたら、急にうどんがどうしても食べたくなった。どんなうどんでも良いというわけでなく、美味しい讃岐うどんが食べたかった。

恥ずかしながら、うどんと言ったら今まで丸亀製麺はなまるうどんの2択しかほとんど食べてこなかった私にその友人は自信を持ってある立ち食いうどん屋さんを紹介してくれた。

その日は行けなかったが、その次の日の仕事終わりお店に向かった。
最寄駅は五反田、いわゆる都心だ。一人で心を躍らせ、EDMを爆音で聴き、気分を高めながら向かった。

 


店名『おにやんま 五反田本店』
お店はJR五反田西口改札を左に曲がって徒歩2分もかからない好立地にあり、第一印象はどこにでもありそうな立ち食いうどん屋さんだった。

お店外観


買い方は食券制で行く前に下調べした情報だといつも混んでいるとのことだったので、待ちも覚悟していた。しかし、運が良かったのか平日の18:30を過ぎていた頃だったが、並ばずに入ることができた。

食券機(値段は2023年8月時点)

 

注文したもの

入店後の率直な感想としては立ち食いではないと商売が成立しないほど狭いが無駄のない空間。店内は約7-8人が入れば埋まってしまうほどの広さででお水などはセルフサービス、また薬味には揚げ玉、生姜、一味などが種類がたくさんあって良心的。うどんの量も並で他のお店の大盛りまでいかないが、それに匹敵するような量。
一番驚いたのが大きいとり天が3つも盛られてる。。あれ?てっきり普通のぶっかけと170円しか変わらなかったので、甘く見ていました。さらに嬉しいことにとり天は全て揚げたてでした。

冷並とり天 ねぎ増量


無事完食した後、店員さんに許可を取って厨房の写真を一枚撮らさせてもらいました。
臨場感を出すために私が食べていた視点から見えた風景を撮らせてもらいました。
店員さんは常時2名ほどいらっしゃって切り盛りしていました。

厨房風景

店員さんはすごく感じがよく、私の写真の申し出にも嫌な顔一つせず快諾してくれました。料理はもちろんのこと、雰囲気、そして金額全てにおいて大満足のお店でした。必ず再訪することを心に決めて、帰りの満員電車で押しつぶされながら帰宅した良い一日でした。


お店の詳細は以下から確認できます。

tabelog.com



日本で生活して、些細なことから感じるGlobalizationへの危機感

あなたには嫌いな言葉はありますか?

本日の気付きとして私は”タイミングが合えば”とか”機会があれば”とか発言する人にすごく不甲斐を感じます。

 

これらの表現は直接的な表現を避けていて会話として何の情報も生んでいないだけでなく、ただ自身の意志の弱さや自己管理の甘さを露呈していて、ただ会話を円滑に終わらせたいがために使われているからです。

ただこの表現は日本だけでなく世界中共通で使われています。

私は米国に6年ほど在住していましたが、日本人と比べると明らかに米国人の方がこの表現を使うのを嫌がります。

基本的に米国人は”Yes”と”No”をはっきり言います。そしてそれは社会または人とのコミニュケーションの中で重要だと認識されており、曖昧に濁すのは双方にとって失礼だと考えられています。(もちろん例外もあります。例えば、バーなどで知らない人とかに絡まれた時など)

それとは反対に日本人は”Yes”をいうときはハッキリ言うイメージですが、”No”の時回答を濁すのが美徳または会話相手のとって失礼のない返答という認識がされています。そのため返答の際に少し”Yes”のニュアンスを含めた返答(”Yes”寄りの”No”)になってしまって誤解が生まれてしまいます。

そしてさらに日本人の特徴として”断り行為は、その発話が適切性を備えているという条件下で、短い表現より長い表現のほうが丁寧である”という研究結果が証明されており、そのため返答では”いいえ、でもタイミングが合えば”とか”いいえ、でも機会が合えば”という相手に浅はかな疑念の余地を残すことになってしまっている。
 

 日本人は断り表現において丁寧さをどう判断しているか : 長さと適切性からの分析, Ito Emiko



ここまでは主に文化的な主観から見てきたが、経済的な視点から見てみるとどうだろうか?

日本は現状経済はまだ世界的に見たら第3位の経済大国だが、年々人口は減少して国民の平均年収も30年以上変わっていない(もしかしたら国民の平均年収は30年前と比べて減ってしまっている可能性まである、なお税収は年々過去最高を更新している模様)

歴史上の例からこのような状態で国が著しく発展していった例もないので、廃れていく未来はすでに見えて、国内産業のGlobalization がより加速してくるだろう。国内産業のGlobalizationは日本にとってすごく残酷である。その理由としてGlobalizationは成果、効率や能力をを最重視し基本的には実力主義だ。一方で日本はそんなことはない正社員で雇われれば法の保護によりほとんど解雇されることもなく、個人の競争力が明らかに外国人と比べて劣っている。

一つその例として言えるのが給与交渉だ。給料は生活に直結する重要なファクターにも関わらず、日本人は交渉を滅多にしない。(というか同調圧力が邪魔をしている)それで持ってほとんどの国民は政府に不平不満を述べているがこれは雇用元に矛先を向けるべきではないだろうか?(公務員はもちろん政府に訴えるべきではある)

私はこれが先ほど述べた根底にある国民の平均年収も30年以上変わっていない原因だと思う。

以上の点からGlobalizationがさらに加速した時にタイミングが合えば”とか”機会があれば”という表現は人間関係または人生全般においてデメリットに働くことがあるため、私は使い分けができる、適応に柔軟的な人が将来的に貴重な人材になれるのではないかと思う。

その理由は使い分けができる、適応に柔軟的な人は双方のどちらにも寄り添えるだけでなく、双方を結ぶパイプラインとなれるからだ。

唯一の危惧としてはglobalization は格差を拡大をしてしまい、極端に自国のIdentityを守るためにNationalismに向かってしまうことがあるが、それは現実的に今の日本にメリットはないだろう。

Set boundary and Learn to say "No"